2014年10月29日水曜日

見守り桜

今年もあと2ヶ月余りとなり、「今年の10大ニュース」「今年の漢字」などが話題となってきます。今年はソチ五「輪」(昨年の漢字)での日本選手の活躍やノーベル物理学賞の受賞など明るい話題あり、一方で自然災害の多発、特に長野県の象徴・「信濃の国」にも登場する御嶽山の噴火には、大変心が痛みました。1年間の内には、良いこと悪いこと、いろいろなことが起こります。
ということで辰野病院において、この1年を振り返ると、何といっても「旧病院の解体」が大きな出来事の1つではないでしょうか。以前のブログで紹介しましたが、その解体工事を見守っていた「見守り桜」は、秋になり紅葉し、旧病院の更地を静かに見守っています。今後もこの更地がどう変貌しようとも静かにわれわれの代わりに見守ってください。


2014年10月24日金曜日

霜降

昨日は、二十四節気の1つ、露が冷気によって霜となって降り始めるころという意味の「霜降」で、寒さを感じはじめる時期であります。しかし、この数年はあたたかい秋であり「霜降」を実感できませんでしたが、今年は本来の10月であり、この2・3日は特に冷え込んでいます。
病棟からも色づきはじめた木々がみえ、また「リハビリ庭園」(患者さんがリハビリで使用する所です)のドウダンツツジも赤く色づき、秋本番と実感できます。そろそろ紅葉も見ごろとなってきており、どこかへ出かけようかな?(しかし、誰も相手にしてくれません)


2014年10月15日水曜日

第3回辰野病院スポーツ大会


昨日、第3回辰野病院スポーツ大会が行われました。ほたるドームに集合、準備体操後に「キンボール」を行いました。「キンボール」とは、3チーム(1チームが4人で構成)が「キンボール」という大きなボールを拾いあう単純な遊びでありますが、やっているうちに熱が入り、真剣勝負となってしまいました。優勝チームは、辰野病院きってのアタッカーY嬢率いる「チームY」で(さすがアタッカーの本領発揮)で優勝賞品おいしいケーキをゲットしました。
「キンボール」で汗をかいた後、昨年同様に公民館で宴会となりました。辰野病院きっての料理人K嬢率いる「チームK」による「マツタケご飯」(ブランド川島産の高級マツタケ使用)「豚汁」「お餅」「フルーツポンチ」「野菜サラダ」など多彩な料理のバイキングで「お・も・て・な・し」していただきました。お酒を飲みながら「愛」の詰まった料理 を堪能し、つい食べ過ぎてしまいました。またスタッフ同士の親睦も深まり、このようなアットホームな宴会ができるのも辰野病院だけではないかと。
ということで、「第4回辰野病院スポーツ大会も行うぞ」と言いたいところですが、「お兄(おに)さん」ではなくて「鬼」に笑われるのでやめておきます。(桃太郎にも「いい加減にしろ」と怒られます)



2014年10月9日木曜日

皆既月食

秋の夜は、空がきれいで月もきれいに見えます。昨日は皆既月食ということで、空を見つめていました。まず、満月が旧病院の更地の水たまりに映し出されていて、何ともいえない思いになりました。その後、徐々にかけていき最後に赤銅色の月をみてロマンを感じました。これは、太陽・地球・月の大きさや距離の関係が違っていては起こらないわけで、とても不思議であります。きっと人類が誕生する前に神様がこの関係を築き、この赤銅色の月は太古から地球を照らしていたのでしょう。そう考えると、人類の歴史は短く小さいものであると、時間の経つのも忘れて見入ってしまいました。そのためか、本日は首が痛い!!


2014年10月6日月曜日

御嶽山噴火

本日、台風18号が静岡県に上陸し、日本列島を横断していきました。各地に大きな被害を与え、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。それでも台風の場合は、事前の情報で被害の大きさの予想は難しくても、心の準備はできますよね。しかし御嶽山の噴火は、まさに「想定外」であり、大変驚きました。
辰野病院へ赴任する前の2年間木曽に住んでいたため、この噴火は他人事に思えません。夏はゴルフ、冬はスキーと御嶽山の麓へ出かけ、5月の連休には御嶽山の頂上より山スキーを楽しんだこともあり、変わり果てた御嶽山をみていると悲しくなると同時に自然災害の恐ろしさを痛感します。
しかし、大震災以来「想定外は想定内」と、常日ごろの防災対策が必要といわれていますが、今回の噴火はまさに「想定外」であり、多くの登山者が被災しており、心が痛みます。
この場を借りて、噴火によりお亡くなりになられた方々へ心からご哀悼の意を表すとともに、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

2014年10月1日水曜日

2周年


2年前の午前8時にテープカットを行い、新病院がスタート、期待と不安の船出であったのを昨日のように思い出します。
ところで、この2年間の2つの大きな出来事と言えば、旧病院の解体2回の病院祭を行ったことです。昨日のブログで紹介したように、旧病院は更地となって土に帰っていきました。また、2回の病院祭とも地域の皆様に支えられ、大成功に導いていただきました。
この2つの出来事は、相反するようですが、旧病院があったからこそ、新病院ができ病院祭も大成功し、このことより、過去に感謝し、未来へ羽ばたいていきたいと考えています。
しかし、まだまだ2歳の赤ちゃん、地域住民の方々には、ご迷惑をかけているかもしれません。そこでわれわれスタッフが「オンリーワン」の病院に育てていき、「ふるさと」(歌が誕生して100年)のように皆様方に愛され、今後100年200年続くようにと考えています。
 土屋院長のギター演奏で「ふるさと」を合唱しました。
第2回辰野病院劇場「桃太郎」