2015年3月27日金曜日
送別会
昨日、平成26年度の退職者の送別会が行われました。今年は5名の定年退職者がおり、長い間辰野病院へ貢献していただいた方々で、思い出話に花が咲き、盛大な送別会となりました。
皆さん定年とは思えないくらい若々しく、前回のブログで書いたように、「ぜひ、もう一度いっしょに」と切望したところ、多くの方がそれに応じていただき、大変うれしく思います。
そこで最後には、送別会ならぬ壮行会となり、「贈る言葉」を歌って、4月1日からの再出発を誓いました。
2015年3月24日火曜日
送別
3月は寒い冬から暖かい春へと季節が変わる時で、とてもうれしい反面、別れの季節でもあり大変悲しくもあります。今年もそのような時を迎えましたが、今年はクロッカスのように「切望」したところ、多くの方が再びいっしょに働いていただけるということで大変うれしく思っています。
実際のところ、辰野病院のような地方の病院では医師・看護師不足の状態が続いており、七人の侍ならぬ「七人の常勤医」で診療を行い、看護師もぎりぎりの状態であり、「切望」がかなって感謝しています。
よく「七人の常勤医で、しかも外科医がひとりで何ができるの?」と聞かれます。確かに普通に考えれば難しいと思われますが、温かいスタッフと患者さんの笑顔に恵まれているために可能です。特に外科医はよっちゃんひとりのため、外科外来と外科病棟のスタッフには大変助けていただいており、ここでも「切望」したのですが、外科スタッフに関してはかなわぬ結果となり、大変悲しい!!これからは残されたスタッフでがんばっていかないと。
外科外来を長い間支えていただいたHさんを囲んで「ピース」のポーズ
実際のところ、辰野病院のような地方の病院では医師・看護師不足の状態が続いており、七人の侍ならぬ「七人の常勤医」で診療を行い、看護師もぎりぎりの状態であり、「切望」がかなって感謝しています。
よく「七人の常勤医で、しかも外科医がひとりで何ができるの?」と聞かれます。確かに普通に考えれば難しいと思われますが、温かいスタッフと患者さんの笑顔に恵まれているために可能です。特に外科医はよっちゃんひとりのため、外科外来と外科病棟のスタッフには大変助けていただいており、ここでも「切望」したのですが、外科スタッフに関してはかなわぬ結果となり、大変悲しい!!これからは残されたスタッフでがんばっていかないと。
外科外来を長い間支えていただいたHさんを囲んで「ピース」のポーズ
2015年3月20日金曜日
火災訓練
本日、深夜帯に火災が発生したという設定で火災訓練が行われました。いつ何時に火災が発生するかわからず、特に深夜帯はスタッフも少なく、しかも入院患者さんの多くは自由に動けず「想定外」と言っていては多くの方が犠牲になってしまいます。そこで、病棟内で火災発生時のマニュアルを再確認しながら、訓練を行いました。最後に実際の消火器を使っての訓練も行われ、常に防災の意識を持っていなければと、再認識しました。
2015年3月18日水曜日
彼岸
本日は彼岸の入りです。先週の真冬のような寒さから一転、今週は一気に春本番の暖かさになりました。まさに「暑さ寒さも彼岸まで」の通りであります。よっちゃんの庭のクロッカスも咲きはじめ、花言葉「切望」のごとく、寒い冬も終わりこのまま暖かい春になることを「切望」します。
しかし、3月は別れの季節で、今年も多くのスタッフが病院を去ります。いつまでもいっしょに働いていたいと「切望」するのですが、とても悲しいことです。
2015年3月12日木曜日
3.12
4年前の3月12日は何の日かご存知ですか。大震災の翌日ですよね。もちろんそうですが、実は長野県北部の栄村で大地震が発生した日でもあり、忘れることはできません。
ところで4年前の3月11日は、みなさんはどのようにお過ごしでしたか。よっちゃんは、旧辰野病院の手術室で大きな揺れを感じ、大地震・大津波であることを知りました。またその日は当直に当たっていたために、夜は当直室で報道番組をみていて、心が痛み眠れぬ夜でありました。ようやくうとうとしはじめたその時に、再び大きな揺れで目覚め、飛び起きたのを今でも思い出し、それが栄村の大地震であったのです。
栄村も4年経過しましたが、まだ復興半ばということであり、われわれは決して忘れません。
3.11・3.12は「大災害はいつ何時に起こるかわからない」ということを思い知る日であります。常にこのことを忘れないように。
ところで4年前の3月11日は、みなさんはどのようにお過ごしでしたか。よっちゃんは、旧辰野病院の手術室で大きな揺れを感じ、大地震・大津波であることを知りました。またその日は当直に当たっていたために、夜は当直室で報道番組をみていて、心が痛み眠れぬ夜でありました。ようやくうとうとしはじめたその時に、再び大きな揺れで目覚め、飛び起きたのを今でも思い出し、それが栄村の大地震であったのです。
栄村も4年経過しましたが、まだ復興半ばということであり、われわれは決して忘れません。
3.11・3.12は「大災害はいつ何時に起こるかわからない」ということを思い知る日であります。常にこのことを忘れないように。
2015年3月11日水曜日
3.11
あの日から4年が経過しました。東北・福島の方にとっての4年間はどうでしたか。われわれ辰野病院にとっては、復興への4年間となりました。まず、大震災があったにも関わらず移転新築していただき、2回の辰野病院祭も行われ、徐々にではありますが、復興へ歩んでいます。また、大きな揺れを感じた旧病院は解体され、辰野病院にとっては激動の4年間となりました。しかし東北・福島の方にとっては、まだまだの4年間ではないでしょうか。
そこで辰野病院は、東北・福島の方々に何か恩返しをしたいと考え、第1回辰野病院祭では、募金活動とスタッフコーラス「ムジカホスピターレ」が「花は咲く」を歌い、エールを送らせていただきました。(NHKの「全国で花は咲く」の#61に採用されました)
スタッフコーラス「ムジカホスピターレ」による「花は咲く」
また第2回辰野病院祭では、福島の子どもたちに笑顔を、ということで「TOHOKU Smile Project」へ参加させていただき、そのドームが昨年の12月に完成したということであります。しかし、まだまだ復興半ばであり、本当の「笑顔」が一日でも早く戻ることを願っています。
「がんばろう東北・福島」辰野病院は決して忘れません。これからも微力ながら応援していきます。
そこで辰野病院は、東北・福島の方々に何か恩返しをしたいと考え、第1回辰野病院祭では、募金活動とスタッフコーラス「ムジカホスピターレ」が「花は咲く」を歌い、エールを送らせていただきました。(NHKの「全国で花は咲く」の#61に採用されました)
スタッフコーラス「ムジカホスピターレ」による「花は咲く」
また第2回辰野病院祭では、福島の子どもたちに笑顔を、ということで「TOHOKU Smile Project」へ参加させていただき、そのドームが昨年の12月に完成したということであります。しかし、まだまだ復興半ばであり、本当の「笑顔」が一日でも早く戻ることを願っています。
「がんばろう東北・福島」辰野病院は決して忘れません。これからも微力ながら応援していきます。
2015年3月4日水曜日
ひな祭り弁当
3月3日はひな祭り、女の子のいるご家庭では、お雛さまを飾ってお祝いしますよね。以前のブログで紹介したように、このような特別な日に予期せぬ入院となった患者さんに、少しでもお祭り気分を味わって元気になっていただきたいと考え、行事食を提供しております。そこで、今回は、ひな祭りということで「ひな祭り弁当」を味わっていただきました。
かわいい手作りのお雛さまを眺めながら、美味しそうに食べている患者さんの笑顔をみて、大変うれしい気分になりました。よっちゃんも昨年同様に当直に当たり、この美味しい弁当をいただき、今後は3月3日は「よっちゃんの当直日」と指定しようかな?
しかし、こんなことを書くと「ぜひ、私も食べてみたい」ということで、この行事食を狙って入院されても困ります。また、「行事食を目当てに当直をするなんて、いい加減にしろ」と桃太郎さんに怒られそうで、「指定」の話は止めておきます。
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